我が家の菩提寺

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お盆の時期になると、我が家の菩提寺(大阪玉造にある「どんどろ大師 善福寺」)では施餓鬼(せがき)法要が営まれます。ワタシが生まれる前からずっと菩提寺のご住職に月参りをお願いしていましたが、大阪の実家を引き払った今は施餓鬼法要や初大師などのタイミングに我々が参列するだけとなりました。定期法要は祖先への感謝を伝える貴重な風習なので、信仰心が極めて薄いワタシですが、年に数回の行事への参列は妻の協力も得て何とか今も継続しています。

今回は、我が家の菩提寺である「どんどろ大師 善福寺」をご紹介します。


大阪市天王寺区空堀町にある善福寺は高野山真言宗の小さなお寺です。「どんどろ大師 善福寺」となっているのは、明治初期に廃仏毀釈で既に廃寺となっていた鏡如庵大師堂 (通称:どんどろ大師)の地に大阪能勢から移転した善福寺が法燈を受け継ぎ共存させた形で復興させたためです。俗っぽく今風に例えると、一時傾いた二つのブランドをダブルネームで再出発して価値が高まったというところでしょうか。「傾いた」と失礼な表現をしましたが、江戸時代には両寺院とも一時代を築いた由緒あるお寺だったようです。

特に『どんどろ大師』の名は歌舞伎の世界では「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)どんどろ大師門前の場」に出てくるので、歌舞伎ファンの間では有名だとか。

傾城阿波の鳴門」は、元は浄瑠璃の演目で、文楽や歌舞伎でも上演されています。(人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」のざっくりしたあらすじはこちらで確認ください) 浄瑠璃や文楽では舞台設定が玉造にある十郎兵衛の家となっている『とと様の名は阿波の十郎兵衛、かか様の名はお弓と申します』という有名な台詞のやりとりですが、歌舞伎では改作されており、どんどろ大師の門前がその舞台となっています。善福寺が現在地に移転して100周年の記念として、2009年に主人公親子の銅像が建立されました。もちろん創作の物語なので二人が実在したわけではありませんが、門前が歌舞伎の舞台として使われるほどに、どんどろ大師は当時有名なお寺であった事が窺い知れます。

歌舞伎で名を馳せたお陰か、今はお寺も少し有名になって檀家も結構な数にのぼるようです。定期法要は客員も含めた十数人の僧侶によって毎回厳かに執り行われます。今年も8月2日にお盆の施餓鬼法要が執り行われましたが、去年からコロナの影響で僧侶が読経する本堂内陣と檀家が座る外陣の間を透明のビニールシートで隔てて、僧侶も各々マスクをして時短で執り行われるようになりました。


法要が時短で早く終わるようになってラッキ〜とバチ当たりな事を考えつつ参列したワタシですが、来年こそは感染を気にせずゆったりした気分で参列したいなぁと思うのであります。

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