忙中閑なき弥生

 仕事を辞めて半年足らず。『そろそろ暇になるかな〜?』と思っていたのですが、あにはからんや大わらわ。観光ガイドの資料準備や、徒然を慰める遊興(笑)で、逆に大変忙しい3月となりました😁

書ききれないほど、色々と首やら頭やら突っ込んだのですが、その一部をご紹介します。

 3月中旬に所属している観光ボランティアガイドの会の県外研修が有り、お隣の三重県へ行ってきました。最初に訪れた石山観音公園は三重県津市芸濃町にある花崗岩の山に彫られた磨崖仏群のある公園です。西国三十三ヶ所観音霊場の仏様がいらっしゃるので、芸濃町の観光ガイドさんから説明を受けながら順に巡って行きました。

こちらの磨崖仏は、さまざまな石工によって随時追彫されて今に至るそうです。そのため一体一体違う雰囲気の仏様が点在しており、いろいろな表情を楽しむことができます。自生する木々は、大きな花崗岩の石山の上に堆積した土に根をおろしているので、自らの重みに耐えかねて倒木してしまうことも多いそうです。岩上の土に芽吹いた儚い自然林と同様に、石仏もまた自然の風化になんとか耐えながら、地元の方々を見守っていました。

 昼食を終えて次に訪れたのは亀山市にある関宿です。こちらは東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町。大宇陀と同じく国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており風情のある街並みが続きます。午後からは亀山市の観光ガイドさんにご案内いただきました。

 上の写真で2階両側の袖壁に屋号が書かれているお店がありますが、江戸から来ると「平仮名」、京から来ると「漢字」で屋号を読めるようになっています。東海道沿いの宿場町は、このようにして旅人が行き先を間違わないようにしていたそうです。

2階にも格子を設えてある家屋が多く見うけられたのは、大宇陀の町家と少し異なるところです。(観光ボランティアを始めてから、建物を見る視点がどうしてもマニアックになってしまうワタシ💦)

 その後、関宿のすぐそばにある観音山公園にも行きました。

こちらも午前中の石山観音と同じく西国三十三ヶ所の観音様がいらっしゃいますが、磨崖仏ではなく山腹や岩穴に石仏が安置されてあります。しかもその石仏のほとんどは江戸時代の名工である丹波佐吉の作といわれています。丹波佐吉は以前このブログでもご紹介した大宇陀にある徳源寺の布袋像やその他、数多くの仏像や狛犬を宇陀に残しています。

上の5体並んでいる写真の中で左から2つ目と3つ目は佐吉の作では無く、それ以外は佐吉が彫った石仏だそうです。彫りの深さや表現の細かさが明らかに違います。そう、名人と呼ばれる人は手を抜かないのです。(と、これまたマニアック😅)

すべての石仏を巡り終えたら見晴台で休憩です。見晴台では関宿や伊勢湾、知多半島までが見渡せる絶景が待っていました。

 3月某日、NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」の撮影に使われたセットが大阪放送局の1階アトリウムに展示公開されていると知り、大阪へ行ったついでに見学してきました。(公開期間はすでに終了しています)

期間限定ということもあり、平日というのに大勢の人が来場していました。セットだけではなく小道具や衣装まで撮影に使ったいろいろなグッズがたくさん展示されていました。番組を観ていない人にとっては『なんじゃこりゃ?』ですが、毎週ほぼ欠かさず観ていたワタシは、あんなシーンやこんなシーンを思い出すのでありました😉。

 プラチナチケットとでも言うべき大相撲3月場所の溜まり席入場券を頂いたので妻と二人で大阪府立体育館へ行ってきました。大相撲観戦は初めてなので、とてもワクワクでした。

 チケットを相撲茶屋で提示すると「たっつけ袴」姿の出方さんが指定席まで案内してくれます。今回の席は西の花道近くで土俵前から6列目のいわゆる「砂かぶり席」です。力士の息遣いや、気合を入れるために自身の体を張る音が響き渡ります。何やら甘い匂いがすると思ったら、力士の鬢付け油の匂い。行司や力士の所作ひとつひとつに意味があり、やはり相撲は国技であり、過去は神事だったんだなぁと実感しました。

 この日は13日目。新入幕で前頭十七枚目の尊富士が迫力の相撲で関脇の若元春に勝利し1敗を守りました。ご存知の通り尊富士は翌14日目の敗戦で靱帯を損傷しながらも千秋楽で勝利して110年ぶりの新入幕優勝を飾りました。今後の活躍に期待が膨らみます。ちなみに妻は、大の里の顔が可愛いから気に入ったご様子。(相撲観戦の観点がワタシと違う。。😆)

 溜まり席では飲食は不可なので弁当を食べながらの観戦はできないのですが、そのぶん相撲の取り組みを一戦一戦集中して見ることができます。終了後にもう一度、相撲茶屋に立ち寄ってお土産をたくさん頂いて帰りました。とてもエキサイティングで思い出に残る1日でした!

 奈良県川上村にある「匠の聚(たくみのむら)」は村立の芸術家村で、様々なアーティストがアトリエを構えて創作活動を行なっています。「はならぁと2023」でご一緒にボランティア活動を行ったアーティストさんが3月末まで個展を開かれるという事で、期間中に2度、お伺いしました。

カフェスペースからは山並みの景色を望める素敵なギャラリーで、作品はギャラリーの雰囲気にとてもマッチしたCoolな(カッコイイ)現代アート作品でした。3月後半の土日には木の枝や木の実を利用して作品を作るワークショップが開催されたので、今年2月の「かぎろひを観る会」に来てくれた高校時代の旧友と一緒に参加して、童心に帰って小枝と格闘しました。


じっとしていないで動き回っていると、

色々な人・物・事が繋がってゆくものだという事を

実感できた 幸せな3月でした😊。

うだよろし

Apple製品を愛するB型人間 奈良県宇陀市在住 還暦を迎え、人生2周目を周回迷走中。

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2件のフィードバック

  1. いいなぁ 文化的に活躍しておられる! ワタシなんか 4枚画面の前で未だにCADってます。 さて、今後のガイド活動にも使えそうなネタをひとつ。文中冒頭で[2階両側の袖壁に屋号][江戸から来ると「平仮名」、京から来ると「漢字」で屋号・・・]とありました。 現在のルールでは 日本全国 公道に架かる橋は 路線起点側から走ってきて橋への進入時 左側に[漢字]の橋名表示 路線終点側から走っての進入時は 左側に [ひらがな]の橋名表示 という ルールになっております。
    そこで 宿のひらがな漢字表記の下りを拝見して感じたのですが 東海道53次の起点は お江戸日本橋 終点は京都三条大橋 で 上記ルールに従えば 逆になるはずですが そうは問屋が卸すめぇ! 日本の中心は京都を中心にした関西圏! なんて 昔の人たちの静かな プライドを 感じてしまいました!! ガイドのオシマイに 帰りのバスで 橋を渡る際に 漢字とひらがな 確かめてください。なんてね・・・・

    • 高忠さん

      な〜るほど
      貴重な情報ありがとうございます!
      早速ガイドネタで使わせてもらいます_φ( ̄ー ̄ )

      皇居が東京に移った影響で
      江戸時代以前と明治以降とでは
      上りと下りが逆になったので
      起点終点も逆さまになったんでしょうかねぇ

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