どうする信雄(のぶかつ)

 宇陀には古墳時代から現代に至るまでの史跡が点在しています。歴史というものに全くと言っていいほど興味が無かったワタシが宇陀に暮らして30年余。未だに「何年に誰が何をした」というような史実にあまり興味は無いのですが、そんなワタシでも史跡に立ち寄るとその時代にその場所で生きた人々に想いを馳せるようになりました。先月「はならぁと」でボランティア参加して宇陀松山に半月ほど通ったおかげで、宇陀松山藩の初代藩主 織田信雄(織田信長の次男)とその子孫への興味が沸々と湧いてきたのでありました。

 織田信雄の生涯についてはこちらのサイトに簡潔にまとめられているので参考にしていただくとして、信雄の死後息子の高長(たかなが)によって開基された宇陀松山織田家の菩提寺である徳源寺(とくげんじ)に行ってきたので、お寺の様子をご紹介しておきます。


 臨済宗 長泉山 徳源寺は重伝建に指定されている宇陀松山地区に対して国道166号を挟んだ西側の岩室地区にあります。宇陀松山藩2代目藩主である織田高長が父信雄の菩提を弔うために建立されたそうです。宇陀松山藩はその後のお家騒動で国替えとなり四代で廃藩となったため、信長の子孫の菩提寺とは思えないほど今はひっそりとしていて静寂に包まれています。

 寺院幕には織田家の代表的な家紋「織田木瓜(おだもっこう)」が印されており、堂内には歴代藩主の肖像画が飾られていました。凛とした空気が張りつめる境内はしっかり手入れされており、紅葉の美しさが際立っていました。山道をもう少し奥に入ると藩主の五輪塔があるそうですが、どこから行けばよいのかわからず断念しました💦。

 境内の苔むした石仏は時の流れを感じさせます。
あずま屋に収まっている布袋様は「丹波佐吉」作だそうです。丹波佐吉は狛犬を彫らせれば日本一と言われていた江戸後期の名工ですが、佐吉が彫った布袋様は珍しいと思います。佐吉が育った丹波柏原といえば宇陀松山藩のお家騒動で宇陀から国替になった移封地です。平井大師山の石仏群や宇太水分神社の狛犬など、このほかにも佐吉の作品が宇陀にはたくさん残っているので、何かの縁を感じずにはいられません。


 宇陀松山初代藩主 織田信雄は世間から「愚将」の烙印を押されていて、経歴を振り返ればここぞという時に動かなかったり、勝手な行動をしたりと失敗のオンパレード。結果から見ると「愚将」の名に恥じない凡庸ぶりです😅。しかし豊臣秀吉に都合よく利用されながらも、愚将であるがゆえに殺されることもなく73歳まで長生きして子孫を残し、宇陀松山が商家町として繁栄する祖を築きました。人生で2度も改易(所領、家禄、屋敷などの没収)されましたが復活して結局は領主に返り咲いています。人徳があるのか無いのか、世渡りが上手いのか下手なのか、豊臣に引っ付いたり徳川に引っ付いたり全くつかみどころの無い不思議な人物です。そして最期は京都で悠々自適の生活をして一生を終えています。(初代の宇陀松山藩主なのに一度も領内に赴任していないというのは、宇陀市民としては少し不満ですわな。。)


NHKの「どうする家康」は、間も無く大坂冬の陣、夏の陣へと話が進みます。

史実としては織田信雄は大坂の陣で豊臣側を裏切り家康側に転身して勝利を納め、宇陀松山の領地をゲットして初代藩主となりますが、、、

どうする信雄?

うだよろし

Apple製品を愛するB型人間 奈良県宇陀市在住 還暦を迎え、人生2周目を周回迷走中。

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4件のフィードバック

  1. 世界史と日本史の教科書に登場する人物はみんな同じ名前に見えて、中学、高校とまったく覚える気がありませんでした(笑)おかげで、大河ドラマは「樅の木は残った」以来、ほとんど見てません(笑)調べてみたら1970年!!50年以上前でした。老後に毎日図書館に入り浸って1日を過ごすなんてこともしないでしょうから、歴史を知らずにあの世に逝ってしまいそうです。でもうだよろしさんのブログ記事を読むことで歴史に触れることができそうです。ここで勉強させていただきますね。

    • たろさん

      私も学生時代はたろさんと全く同じで、日本史も世界史も全く覚える気がありませんでした(笑)。今は地元の史跡に関わる人物を中心に気の向くままに情報を漁っているという感じなんです。遅まきながら覚える気になったのですが、記憶力が衰えているので、なかなか頭に入ってこないのは学生時代と変わっていません😅。

  2. 今年の大河は最初から 全然 見る気がしなかったなぁ・・・ マツジュンが家康!
    その時点でアウトでしたねぇ。 って そうそう 生活空間に 歴史がある!!羨ましいですねぇ。。。 ワタシの生活空間なんか 雪しかありませんから!

    かつて 日本史は大好きでしたが 世界史は カタカナが全部同じに見えてサヨウナラでしたねぇ。

    • 高忠さん

      ワタシの場合、この歳になって
      人物中心で断片的にではありますが
      日本史に興味が湧き始めたというところです。
      やはり、身近に歴史の足跡があると
      気になるものですね。

      世界史については、全く同感!
      確かにカタカナが同じに見えてしまいますよね〜

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