中国地方へ還暦旅行 〜後編〜
昨年10月に訪れた中国地方への還暦旅行。前回の続きです。
<玉造温泉と出雲大社>
新山口駅まで友人達を見送って、我々夫婦は中国道と松江道を通って玉造温泉へ。トンネルは多いけど比較的直進できた山陽道に比べ、中国道は山間を縫うように走るため結構疲れました。玉造温泉のお宿は創業130年の松乃湯さん。出来れば玉造温泉の温泉街も散策したかったけど、スケジュールがタイトだったので、外出せず旅館で休養。大きな水晶の勾玉が鎮座する食事処で出雲の地酒を呑み比べながらノドグロの塩焼きなど地元の海の幸に舌鼓。
翌日は朝から出雲大社(いずもおおやしろ)へ。「たいしゃ」じゃなくて「おおやしろ」と呼ぶのは事前学習でわかっていたのだけれど、2拍手でなく4拍手するのは現地で初めて知りました。誰もが知る「常識」らしいのですが、まだまだ知らない常識が多い還暦おとこです。この日はちょうど旧暦の神在月初日。『今日は全国の神様がチェックインして境内のレセプションは大忙しだろうなぁ』とキャリーバックを引っ張りながら順番を待つ神々を想像しながらの4拍手でありました。
お参りの後は、出雲大社近くの老舗蕎麦屋「荒木屋」さんで出雲そばをいただきました。ワタシが食べた「割子4代そば」は、そば4段に玉子、なめこ、とろろが付いていました。メニューには『名物割子そばの召し上がり方』が書かれており、それによると
- 割子そばの上に薬味を乗せる
- 「の」の字を書くように少量のだしをかけて食べる
- 食べ終わったら残りのだしを次の器に下げ、同様にだしをかける
- 残っただしは蕎麦湯の中に入れて飲む
との事。徐々に味が複合されていって、美味しくってなかなか楽しかったです。
食事の後は、最後の宿泊地である瀬戸内海に面した広島県福山市の鞆の浦(とものうら)へ。
<鞆の浦>
鞆の浦はその昔、海援隊が瀬戸内を運行中に紀州藩の明光丸と衝突事故を起こした「いろは丸 沈没事件」の際、坂本龍馬が上陸して数日間にわたって交渉した土地だそうです。今は、シンボルの常夜灯を中心としたノスタルジックな港町として知られています。鞆の浦での宿は「汀亭 遠音近音(みぎわてい おちこち)」。客室に露天風呂が付いた、ワタシにとってはちょいと贅沢なお宿です。部屋のベランダからは離島に定期運行している渡船を見ることが出来ます。この渡船、通常は坂本龍馬にあやかって「いろは丸」を模した外観の「平成 いろは丸」が運行しているらしいのですが、この日は地元で開催される日韓トップ囲碁対局を記念して期間限定の「朝鮮通信使船」仕様で運行されていました。
宿泊の翌日は鞆の浦を散策しましたが小雨混じりのあいにくのお天気でした。しかし、雨に濡れた旧い街並みも風情があって良いものです。ワタシがまだ赤ん坊の時に亡くなった祖父は『雨の日は、雨の日にしか見られへん景色がある。天気にええも悪いも無いんやで。』と口癖のように言っていたそうです。確かに、濡れた石畳の小径は晴れの日より雨の日がお似合いでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上、2回に分けてご紹介した4泊5日の中国地方への還暦旅行は、日本にはまだまだワタシの知らない魅力的なところがたくさん有るんだと実感する思い出に残る旅行となりました。